| 前世紀(20世紀)初頭、ヨーロッパ各国では自動拳銃の開発が盛んに行われ、軍用拳銃として広く使用されるようになった。いち早くその動向をとらえた東京砲兵工廠の南部麒次郎大尉は独自の研究を開始、明治35年(西暦1903年)「南部自動拳銃」を完成した。しかし軍部は、不急兵器に裁定したため制式とならず、一般将校用に市販されていたが、大正3年、ようやく「陸式拳銃」の名をもって海軍に採用される。 |
| 「南部式自動拳銃」を大幅に単純化し、大正14年(西暦1925年)制式となった日本の代表的軍用拳銃が、この「南部十四式自動拳銃」である。製造を容易にし、手動安全装置を追加する以外、「南部式拳銃」ではフレーム左側だけに複座バネか内臓されていたのに対して本銃では両側となり、グリップも手間のかかるクルミ材網模様から26本の水平横溝を彫るのみに変更されている。東京、名古屋、小倉の各造兵廠が生産した(筆者の南部が製造された1944年8月前後は名古屋のみで生産されており、水平横溝は24本)。 |
| 昭和9年には弾倉安全装置が加えられ、以後造製されたすべての「十四年式拳銃」には、これが追加されており、初期型も逐次改造される。満州事変以来問題となっていた、寒冷地における使用の際、防寒手袋のままでも撃発できるよう、昭和14年には用心鉄が従来の円形(透視図のタイプ)から卵形へと改良され、太平洋戦争終末まで憲兵、航空兵、戦車兵、砲兵などに装備された。命中精度は同時期の各国軍用拳銃中抜群であったが、小部品の数が多く、分解結合も複雑である。
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| オリジナル将校用ホルスター他、アンクル・マイクズ社サイドキック・ヒップホルスター及び、同社・実包キャリアー(16発入り)。 |